人工授精を見直す

2009年07月03日

現代は、"体外受精全盛時代"と言っても過言ではありません。2006年度に体外受精で生まれたお子さんの数は約2万人、新生児55人に1人の割合です。年間の採卵回数は、それまでの5年で1.5倍にもなっています。これは、なにも日本だけのことではありません。2002年の世界の体外受精児は約25万人、2年で25%も増えています。

体外受精の普及が意味するもの

さて、このような体外受精の普及は何を意味するのでしょうか?両側の卵管が全く通らない、重度の男性不妊や受精障害など、自然妊娠では妊娠を望めないご夫婦にとっては大きな光です。

ところが、その、一方で、単に、妊娠率が高いからという理由だけで、体外受精にステップアップするケースが増えているという面もあります。

つまり、より早い時点で、人工授精に見切りをつける傾向が、強まっているということに他なりません。

もしかしたら不必要かもしれない治療が増えているとも言えます。

できるだけ自然に近い妊娠を望んでいるのであれば

関連技術の向上や子宮に戻す胚の数を1個に制限することで、卵巣過剰刺激症候群(OHSS)や多胎妊娠が、ほぼ避けられるようになり、体外受精の安全性は飛躍的に高まりました。

ただし、いくら妊娠率が高く、安全性が高まったからといって、体外受精は人工授精に比べると、人為的な介入の度合いや身体への負担は大きく、費用も高額です。

また、お子さんへの影響については、これまでの追跡調査では、概ね、心配するほどのことはなさそうですが、次世代への影響などの未知のリスクについては、完全に払拭されているわけではありません。

どんな方法でも、とにかく早く妊娠したいという、明確な考えがある場合は別として、もしも、自然に近く、身体への負担や費用のかからない方法で、妊娠を目指したいと考えているのであれば、人工授精までの治療で妊娠できるのに越したことはありません。

さる6月5日に日本不妊カウンセリング学会において、妊娠しやすいカラダづくりのQ&Aで回答いただいております、梅ヶ丘産婦人科院長の辰巳賢一先生が、「自然に近く負担の少ない人工授精を見直そう」とのテーマで、ご講演されました。

そこで、今回は、辰巳先生のご講演内容をもとに、ART全盛時代にあって、見過ごされがちな人工授精について、その有用性を、改めて、見直してみたいと思います。

自然に近く、負担の少ない人工授精を見直したい

まずは、人工授精とはどのような治療方法なのでしょう。

人工授精とは?

人工授精とは、排卵日の前後に、パートナーの精液から元気な精子を選別し、子宮内に注入する治療方法のことです。

いろいろな理由で性交渉がもてない場合、子宮頚管粘液が少なかったり、精子をスムースに通過させにくいような状態にある場合、精子の数が少なかったり、元気がない場合、そして、これが最も多いケースになりますが、原因不明不妊に施される治療法です。

卵子と精子が出会い、受精、着床、妊娠は、自然妊娠と全く変わりなく、極めて自然妊娠に近い治療法です。

さて、いくら自然に近く、負担が少ないと言っても、それで妊娠できなければ意味がありません。

それでは、人工授精の有用性について、見てみることにしましょう。

その前に治療の有用性をみる場合、絶対に知っておかなければならないことを確認しておきます。

治療成績はそれぞれの施設の治療方針によって大きく異なるもの

妊娠に至った治療方法の割合、さらには、それぞれの治療方法の妊娠率などは、それぞれの施設の実施可能な治療法や治療方針、症例数によって、大きく異なるものです。

因みに、梅ヶ丘産婦人科は、一般不妊治療から最先端の高度生殖補助医療まで実施しています。

また、「それぞれの患者さんの必要最低限の治療で妊娠を目指す」という、明確な治療方針を掲げていらっしゃいます。人工授精の症例数は日本のトップクラスです。次のようなステップアップ法を原則とされています。

検査の結果、不妊原因がみつかれば、原因に対する治療を施します。

もしも、原因不明であれば、半年間のタイミング指導を実施します。それでも妊娠しない場合、自然周期(排卵誘発剤を使用しない)人工授精を5回実施します。それでも妊娠しない場合、過排卵を伴う人工授精を2~3回実施します。それでも妊娠しない場合、体外受精へのステップアップを検討します。

人工授精で妊娠に至った割合は?

必要最低限の治療で(不必要な治療を施さずに)妊娠を目指した結果、平成20年の全妊娠数766例の妊娠に至った治療法の割合は、以下の通りです。

・一般不妊治療(タイミング指導)45%、
・人工授精 21%、
・体外受精&顕微授精 34% 

また、人工授精と体外受精の実施数は、以下の通りです。

・人工授精 2789例
・実施採卵数 661例

採卵数の約4倍の人工授精が実施されています。

しつこいようですが、もう一度、繰り返します。

治療成績をみる場合、治療方針や治療法別実施数を確認することが重要です。

つまり、タイミング指導を、必要な(妊娠が期待できるであろう)回数実施しないまま、人工授精に移行すると、必然的に妊娠率は高くなりますし、同様に、人工授精を必要な回数実施しないまま、体外受精に移行すると、必然的に妊娠率が高くなるわけです。

また、症例数が少ないと偶然性に左右されやすくなります。

そのため、治療方法本来の妊娠率を正確に把握するためには、適切な対象者に治療が施されているかどうか、また、症例数が多いことが必要な条件になるわけです。

不妊治療の治療成績は、まったく、一筋縄ではいきません。

それでは、次に、人工授精の妊娠率を見ることにしましょう。

人工授精でどれくらい妊娠できるのか?

人工授精の有用性を正しく知るために、さまざまな角度から妊娠率をみてみます。

梅ヶ丘産婦人科の治療データで、すべて半年間のタイミング指導実施後の症例です。

周期あたり妊娠率

平成16から20年の間に、10420周期の人工授精が実施され、619の妊娠が成立しました。

人工授精の周期あたり妊娠率は5.9%です。

周期あたり年齢別妊娠率

女性の年齢が、20歳代の場合は10%、30歳代の場合は7.9%

周期あたり注入精子数別妊娠率

注入精子数が100万以上の場合は7.9%

患者あたりの妊娠率

患者あたりの妊娠率は30.8%

全症例の周期あたりの妊娠率でみると低い印象を持ちますが、年齢や注入精子数で妊娠率が左右されます。そして、患者あたりの妊娠率でみると違った印象をもたれると思います。

人工授精は何回まで受けるべきか?

周期あたりの妊娠率はそれほど高くなくても、人工授精は体外受精と違い、身体への負担がほとんどないこと、また、費用もそれほど高額でないことから、毎周期受けることが可能です。

つまり、回数を繰り返すことで妊娠を目指すのが現実的なわけです。

それでは、いったいどれくらい繰り返すべきなのでしょうか?

目安として5~6回受ける

まずは、5~6回繰り返しても妊娠しなければ、体外受精へのステップアップを検討するのが一般的な考え方です。人工授精では解決できない原因があることを想定してのことです。

ただし、それ以上、人工授精を続けても、妊娠の可能性がないというわけではありません。

人工授精の妊娠率は回数を重ねてもそれほど下がらない

治療データとして、何回目の人工授精で妊娠できたのかを人数でみてみると、5、6回目から大きく減ってしまいますが、これは、それ以上人工授精を受ける人の数が少なくなるためです。

ところが、人工授精の回数と妊娠率をみてみると、回数を重ねると、確かに妊娠率は、徐々に低下していきますが、9回目くらいまではそれほどには落ちないのです。

100人が人工授精をずっと受けたら?

もしも、100人の人が、人工授精を受け続けた場合、最終的には57人が妊娠することができる計算になります。

いかがですか?

人工授精は、周期あたりの妊娠率でみると、あまり妊娠できないかのような印象を持ってしまうかもしれませんが、十分な症例数による治療データをみてみると、患者あたりの妊娠率は30.8%、人工授精を受け続けた場合の妊娠率は6割近くなるわけです。

つまり、どうしても体外受精に抵抗を感じるカップル、経済的に体外受精を受けるのが困難なカップルにとっては、人工授精を繰り返すというのも現実的な選択肢なのです。

人工授精についてよくある誤解

人工授精については、いくつかのウソがまかり通っているようです。

フーナーテストが良好であれば人工授精を受けるのは無意味?

いいえ。

たとえ、フーナーテストが良好でも、人工授精を受ける価値は、十分に、あります。

平成18年度の梅ヶ丘産婦人科の人工授精で妊娠した152例のうち、

フーナーテストが良好であったのが37%、
フーナーテストがほぼ正常であったのが19%、
フーナーテストが不良であったのが18%、
性交障害で検査を実施していなかったのが26%

女性の年齢が高齢になると体外受精でしか妊娠できない?

いいえ。

たとえ、40歳を超えてもタイミング指導や人工授精によって、妊娠に至ることができます。

平成13~18年度の梅ヶ丘産婦人科で、40歳以上で妊娠した506例の治療法は、

タイミング指導 30%
人工授精 20%
体外受精 50%

女性の年齢が高くなると、妊娠する力のある卵子が排卵される頻度が少なくなることが、最大の不妊原因になります。このことの対策は、体外受精ではなく、毎周期、妊娠のチャンスを持つということです。

体外受精を実施しながらも、その間の周期には、タイミング法や人工授精を実施することで、妊娠を目指すことのが有効です。

人工授精には排卵誘発剤が必ず必要ですか?

いいえ。

平成16~18年の梅ヶ丘産婦人科で、卵巣刺激法別妊娠率は、

自然周期(排卵誘発剤を使わない) 5.6%
クロミッド 6.1%
クロミッド+HMG 6.8%

排卵誘発剤を使っても、使わなかったときに比べて、それほど妊娠率は上がらずに多胎妊娠率が高くなります。

体外受精の先の治療はない?

いいえ。

体外受精にステップアップすると、もう後がないかのように思いがちですが、体外受精を受けて、妊娠できずに、その後、人工授精で妊娠できるケースはあります。つまり、ステップダウンも有りだということです。

最後に

いかがでしょうか?

それぞれのカップルには、どんな治療が必要なのかについて、施設によって、ドクターによって、考え方は驚くほど違います。

大切なことは、二人が納得の行く治療を受けることです。

そのためには、まずは、正しい情報を得て、それをもとに、自分たちがどうしたいのかについて、二人で、話し合い、考えて、答えを見つけることが必要です。

体外受精全盛の時代だからといって、不妊治療は、体外受精だけでは、決して、ありません。

くれぐれも誤解しないでいただきたいのは、体外受精を目の敵にして、否定しているわけではありません。

また、どんな年齢でも、どんな不妊原因があろうとも、人工授精でできるだけねばるべきだと考えているわけでもありません。

ただただ、さまざまな選択肢があるということを、知って欲しいだけです。

その上で選択するのは二人です。

そのためにも、そして、体外受精全盛の時代だからこそ、自然に近く、身体にかかる負担の少ない、
そして、それほど高額な費用のかからない、人工授精が見直されてもいいと思います。