曇り時々雨、のち晴れますように

小倉 智子

他人の不幸は蜜の味?

2020年11月24日

こんにちは
 
秋も深まりいよいよ今年も終わろうとしていますね。
これまで世界中で経験したことのない一年でした。
きっとこれらの数週間も、新しい経験をせざるを得ないのだろうな、とは予想していますが・・・
 
今年は自分の楽しみなどを、たくさんあきらめざるを得ない状況だったと思います。そういうとき、とくに
「他人の不幸は蜜の味」
なのかもしれません。
 
誰かが困っている、辛い思いをしている、悲しんでいるのを見たり聞いたりすることで、自分の心配や辛さや悲しみが和らぐ、という効果はあります。
 
なぜかというと、以前にも書いたように、人間は「比較」することができる生き物だからです。そして、比較して他人より優位に立とうとする欲求があるからです。それは生き物の性(サガ)なので、そういう感情をもつことは自然、と思っていただければ、と思います。
 
ただし、人間が他の生き物と違うのは、ここに「知性」「理性」「愛他性」が発達しているところ。宗教の発達などはそれにあたるでしょう。他人と競争ばかりすることに疲れを感じたり、疑問を抱いた脳の発達だと思います。また、家族以外の他人のために自分が役に立とうする気持ちちも人間ならではの心理です。
 
だから、本音として、他人の不幸は蜜の味、は感じても、それを「表現」するかどうか、が問われるのだと思います。
 
ネットの「炎上」という言葉をよく聞きますが、誰かが困る状況を作る、楽しむ、という行為と、「あの人、困ってるんだ。自分はそこまで困ってなくてよかった!」と思うのと、全然違います。
 
他人の不幸は蜜の味、そう思うのはとても自然なこと!自己嫌悪に落ちる必要はありません。
ただ、それを行動に移すことは人間性から離れますし、行動にうつすエネルギーは自分を幸福にするために使うことが「知性」だろうな、と思います。
 
そのためのヒントは
同じ「他人」でも
 
他人のものさし 自分のものさし それぞれ寸法がちがうんだな
相田みつを
 
 

いい言葉だと思います。
 
他人と比較はしますが、それぞれ違うからね~って思えると、人生とても解放されると思います。それが難しいときの方がたくさんありますけどね