編集長コラム

細川 忠宏

自分にコントロール出来ることと出来ないことの線引きは意外に簡単ではない

2021年04月06日

昨今のコロナ禍であらためて思うのは、自分にコントロール出来ないことに対してジタバタしても始まらない、かえって、ストレスをためるだけだということ。

なにがコントロール出来て、なにがコントロール出来ないのか、まずは、深呼吸して、落ち着いて見極めねばと、つくづく、感じた次第です。

そもそも、ウイルス活動は自然現象に他なりません。

そう考えると、感染症の専門家でも、医療従事者でもない、私たち、普通の社会人に出来ることと言えば、手洗いやマスク着用、ソーシャルディスタンスを保つことくらいです。

そして、ワクチンか、特効薬が開発され、終息するのを待つしかありません。

自分に出来ることは徹底してやって、あとは通り過ぎるのを待つというのが基本スタンスです。

ただし、待つと言っても、家の中の行動にはなんら制約はないわけで、家で自由になる時間が増えた分、それまでやろうとして出来なかったことが思う存分できる環境が整ったと思えば、誤解を恐れずに言えば、それはそれで、コロナ禍も悪くないと言える面があるのかもしれません。

いずれにしても、コントロール出来ることと出来ないことの線引きをし、出来ないことについては、冷静に受け入れることが、大前提です。

翻って、なかなか子どもが授からないことに悩むカップルにとっても同じことが言えるように思えてなりません。

自分たちに備わっているであろう、生殖機能も、根本的には自分たちにコントロール出来ないという意味で、自然現象と言えると思うからです。

なので、ふたりで納得の行く妊活を行うためには、まずは、自分たちにコントロール出来ることと出来ないことを線引きする作業から始めるべきでしょう。

ただし、その場合、「生理学」への理解を深めることが、極めて大切なのではないかと思っています。

日本生理学会のサイトには、生理とは、生命(いのち)の理(ことわり)であるとあります。

私たちは生きていますが、お腹が空いたり、暑いと汗が出たり、運動したら心臓がドキドキします。また、恋をすると胸がキュンとし、失恋した夜は涙が止まりません。それでもいつかは眠くなります。そのような時、私たちの体の中ではいったい何が起こっているのか、それを解明する学問が生理学だと。

つまり、私たちのいのちの営みは、実際のところどうなっているのか、その仕組みを知ろうということです。

それでですね、自分自身のいのちの営みが、なんでそうなっているの?という目線で勉強してみると、とても興味深い反面、ほとんどのことは、本当のところ、よくわかっていないことだらけだということに、驚かされます。

ところが、グーグルで妊娠や出産、卵子、精子で検索してみると、たくさんのサイトが次から次にヒットし、膨大な情報を集めることが出来ます。

それも、本当にわかりやすく書かれています。

本当はここで注意しなければならないのは、それらの情報のほとんどは、既に「わかった」ことばかりだということです。

実は、わかっていることは、氷山の一角にしか過ぎず、まだまだ、わかっていないことだらけなのにもかかわらず、です。

そうなると、わかったかのような気になる、つまり、錯覚してしまうわけです。

そして、そのことは、妊娠や出産といういのちの営みはコントロール出来るかのような誤解を招いてしまうかもしれないのです。

本当はコントロールなんて出来ないのにもかかわらず、です。

たとえば、卵子の質をよくしたいというご相談に、毎日と言っていいくらい接します。そもそも、質の低下した卵子をよくするなんて不可能なのにもかかわらず、です。

妊娠の成立に大切で、現実的な要件は、卵子の質をよくすることではなく、質のよい卵子に出会うことなのですが、それは、たまたま、出会うわけで、コントロール不能です。

コントロール出来ないものをコントロールしようとする。

ここに悲しみやストレスの根本原因があります。

納得感の高い妊活や不妊治療から遠ざかるばかりです。

一方で、IT技術の進歩によって、日常生活では、私たちのコントロール出来る感は、ますます、高まるばかりです。

ところが、そこには根本的な落とし穴があるのではないか、そのことを声を大にして言いたいのです。

まずは、生理学を真剣に勉強し、その上で自分たちでコントロール出来ることと、自分たちではコントロール出来ないことについて、正しい線引きする。

そして、自分たちにコントロール出来ないことは、冷静に受け入れた上で、自分たちになにが出来るのかを見極め、粛々と実行する。

そこからしか、自分たちが本当にしたいことは見えてこないように思えてなりません。

簡単なことではないのは百も承知です。

そもそも、簡単に行くことなんて、そうそうありませんからね。