編集長コラム

細川 忠宏

ハンドルは、自分が握る

2020年12月28日

2020年も今日を入れてあと5日で終わろうとしています。

もうそんなになるのかという感覚は例年通りですが、今年は、やはり、特別な年でしたし、新しい年になっても、この状態は、当分、続きそうな感じです、というか、この先どうなることやら、全く、見えてきません。

そう言えば、不妊治療を受けることを「出口の見えないトンネル」にたとえらることが多いのですが、この、コロナ禍も、いつかは終わることは間違いないのでしょうが、果たして、いつ頃、どのように収束するのか、ちょと、想像できません。もしかしたら、この先もずっと、外出時はマスクをしたり、密を避けるような生活が当たり前なことになるのかもしれないとさえ思ってしまいます。

さて、そんな尋常ならざる日々を過ごす中で、つくづく、感じたのは、ハンドルだけは自分が握ることの大切さ、です。

そもそも、ウイルスの活動は、自然現象そのもので、人間がコントロールすることは不可能です。

つまり、これからどうなっていくのかという「結果」は、コントロールどころか、予測することさえ、ままなりません。

ところが、そんなふうに翻弄されてはいますが、そんな中で自分はどうするかは、自分で決めることが可能です。

自然現象はコントロール出来ないけれども、自分がどうするのかは、100%、自分で決めることが出来る、つまり、自分でコントロールできるということは、考えてみれば、当たり前のことなのですが、出口が見えない中を走るとなると、どこを、どのように走ればいいのかもわからないので、自分で決められないのではないかという錯覚に陥ってしまうことがあるのではないかと思うのです。

これは、言い替えれば、先行きが見えなくなると思考停止に陥ってしまいがちになるということでしょう。

今、振り返ってみても、私自身、本当にそう思います。

ところがですね、出口が見えていれば、すなわち、先行きがわかっていれば、どこを、どのように走ればいいのか、もはや、正解は誰にでもわかるわけです。

そういう意味では、確実性が高いケースでは、あまり、考えなくても、思考停止になっても、それほど困ることはないでしょう。

一方、確実性が低いケース、すなわち、どうなるのかがわからない、もっと言えば、正解がないというような場合にこそ、思考を放棄してはいけないというか、ここが頑張りどころでしょう。

先が見えない、予測できなくても、最大の嗅覚を働かせて、信頼できる情報ソースや人を見極めて、選択肢を出しきった上で答えを導き、自分がどこを、どう走るべきかを決めていく。

そうです、先が見えない、不確実な中だからこそ、誰かがハンドルを握る車に不安に苛まれながら、乗せてもらうのではなく、ハンドルは、自分で握るのです。

もちろん、自分の希望するところに辿りつけるかは、すべては自分の責任で、誰も保証してくれません。

ところが、自分でハンドルを握ることで、乗っているだけでは得られない経験を積むことが出来ます。

そして、先が見えない中で、迷いながらもハンドルを切り続けることで、どこを、どう走ればいいのか、次第に見えてくるに違いありません。

決して、正解が見えてくるわけではありません。

そうではなくて、自分は、いったい、どうしたいのかが見えてくるのではないかと思うのです。

そうすれば、こっちのものです。

どんな結果になろうとも、どんな結果になろうとも、自分がやりたいように出来るからです。

結果はコントロール出来ませんが、プロセスはコントロール出来ます。

ただし、どうしたいかがわからなければ、コントロール出来るのに、コントロールしようがありません。

普段はぼんやりとして、見え辛かったことが、大変な状況になったことでハッキリと見えてくることがあるのですね。

来年も、自分のやりたいようにやって、よい年にしましょう!