編集長コラム

細川 忠宏

「欲望」ではなく、「欲求」に従う

2019年05月20日

インターネット、特に、個人ブログやSNSが普及し、膨大な情報が瞬時に手に入るようになりました。

アクセスできる情報の量が増えれば、便利になるかと思いきや、妊活情報を集めて、疑問や心配事を調べれば、調べるほど、疑問や心配事が解決できるどころか、もっと大きくなったというような「声」が、ほぼ、毎日、寄せられるようになりました。

たとえば、そこには、全く相反することが書かれていたりします。

個人の体験談ならまだしも、その道の専門家の見解においてもよくあることで、いったい、どっちやねん!と言いたくもなります。

ただし、医学論文でも、相反する研究結果が書かれていることは、全く珍しいことではありません。

間違いなく言えることは、誰にでもあてはまる「結論」などない、つまりは、ケースバイケース、もっと言えば、人それぞれ、さらには、同じ人でもその時々、ということになるわけです。

妊娠しやすいカラダづくりと称するメルマガでこう書くと無責任なように聞こえるかもしれませんが、事実です。

であれば、疑問を解消し、心配事を解決する時には、大前提として、ここ、すなわち、誰にでもあてはまる結論などないということからはじめるというか、このことを受け入れることからはじめるべきでしょう。

そして、そんなケースではそうならば、こんなケースではどうなのか、その人ではそうならば、自分ではどうなのか、あの時でああならば、この時ではどうなのかという、そんな頭の中のシミュレーションを繰り返し、自分たちの最適解をみつける作業を地道に続けていくしかありません。

結論は簡単には手に入らない、自分たちで導くしかない、要するに、手っ取り早い方法などないわけです。

そもそも、ヒトの身体は機械とは違い、同じようにインプットすれば、同じようなアウトプットが得られるとは限りません。

その上、新しい命がやってくるプロセスは、私たちがどう頑張ってもコントロールすることが叶わない領域で進むもののようです。

誤解のないようにお願いしたいのですが、だからと言って、なにをどうやっても無駄であるなんてことを思っているわけでも、言いたいわけでも、決して、ありません。

反対に、だからこそ、科学的な事実を積み重ね、こつこつ、しつこく、自分たちに最適な方法を探し続け、みつけていくことが大切であると、確信しています。

前置きが大変長くなりましたが、本当に言いたいことはここからなんです。

早く、確実に授かるために、自分で出来ることを考える場合、1つのヒントとして、「欲望」ではなく、「欲求」に従うことが大切ではないかと思うのです。

たとえば、何を、どう食べたらよいのか、いつどんなふうに性交すればよいのかなど、こと、妊娠のためのライフスタイルについては、ああでもない、こうでもないという議論になりがちです。

そんな時には、「欲望」ではなく、「欲求」に従うのです。

ここで言う「欲望」とは、頭がほしがるものやこと、すなわち、頭が不足を感じ、満たそうと望むものやことです。

それに対して、「欲求」とは、生理的にほしがるものやこと、すなわち、身体が正常な状態を維持するために必要とするものやことです。

つまり、ほしがっている主体が、欲望は「頭」で、欲求が「身体」であるということです。

極めてシンプルです。

身体の発する声に素直になるだけでよいのですから。

ただし、一つ、条件があります。

それは、身体が精度の高い欲求を発し、かつ、その身体の発する声をキャッチできることです。

その精度を高めるためには、あくまで、私見、かつ、抽象的ですが、人工物を遠ざけ、五感で自然に接するとよいと思っています。

言いかえると野生の感覚を研ぎ澄ますということです。

私は、年に一回、断食を行っていますが、お腹が空き過ぎると、なんでもかんでも、お腹一杯食べたくなると思われるかもしれませんが、実際に断食してみるとわかりますが、複雑な味付けや人工的なものよりも、自然な素材に近い、シンプルな味付けのものを求め、少しの量で満足できるようになります。

それが生理的な欲求ということなのでしょう。

空腹感は野生の感覚を呼び覚ます必要条件なのかもしれません。

これからアウトドアが気持ちのよい季節です。

ただし、欲望ではなく、欲求に従うと、妊娠のための運動ではなく、身体を動かしたい、自然の中で過ごしたいから過ごすということになります。

そのためには妊活情報はきれいさっぱり忘れてしまうのがよいのかもしれません。

いや、いっその事、思い切って、妊活なんて言葉は頭から取っ払ってしまったほうがよいのかもしれません。