編集長コラム

細川 忠宏

リスク&ベネフィット

2012年06月11日

先週の金曜日に、日本不妊カウンセリング学会が開催され、「生殖医療とエピジェネティクス」という特別講演がありました。

難しそうな講演タイトルですが、「生殖医療とゲノムインプリンティング異常症という先天性の難病の発症リスクの関連」についてのお話しでした。

体外受精や顕微授精では、卵子や精子を体外に採りだして、いろいろな操作を施します。それは、受精の前後という、生き物としては最も無防備で、傷つきやすく、環境の変化にとてもデリケートなときですから、生殖医療技術が何らかの影響、特に、遺伝的な異常を引き起こしはしないか、これまで常に懸念され、心配されてきました。そのため、体外受精や顕微授精出生児の追跡調査が、世界中で数多く実施され、今や安全な治療法として確立されてはいますが、その影響が完全に把握されたわけではありません。生殖補助医療の影響については、未だよくわかっていないところがあるということです。

今回の講演テーマは、そんな影響の一つとしての「エピジェネティックな影響」について、DNAの配列を変えることなく、DNAの性質を長期的に変えてしまうというものです。

たとえば、体外受精や顕微授精で生まれた子どもは「ゲノムインプリンティング異常症」の発症頻度が増えるというショッキングな報告が、数年前から世界のあちこちでなされ、注目されています。その原因はよくわかっていませんが、体外受精や顕微授精を施すことで、「エピジェネティック」な変化を引き起こしているのではないかと懸念されているようです。

今回、日本でも、その「ゲノムインプリンティング異常症」の発症についての全国実態調査が実施されたのですが、その研究チームのリーダーの先生がその結果を講演されたというわけです。

ちょうど、最近の妊カラでも、「体外受精や顕微授精と先天異常発症リスクとの関連についての最新の研究報告」や「受精前後の母親の体内の栄養環境が子どもが出生し、成人してからの体質にまで影響を及ぼすという、生活習慣病胎児期発症説」について、取り上げていましたので、個人的にもとても興味をもって参加しました。

さて、前置きが長くなりましたが、改めて、リスク(危険性)とベネフィット(メリット)について、考える機会になりました。

どんな治療法も、いや、不妊治療に限らず、世の中のあらゆるモノやコトには、必ず、ベネフィット(よい面)とリスク(悪い面)があります。私たちはベネフィットやリスクを過大視してしまうことがよくあります。治療法を選択するときに大切なことは、その治療を受けた場合のベネフィットとリスクを、単に、大きいとか小さいとかではなく、具体的に、どれくらい大きく、どれくらい小さいのか、可能な限り数量で把握するように努めることです。

たとえば、ゲノムインプリンティング異常症にはいくつかの疾患があるのですが、今回の全国実態調査で高度生殖補助医療と発症リスク増加に関連があったのが、Beckwith-Wiedemann症候群とSilver-Russell症候群で、体外受精や顕微授精の出生児では発症頻度が約10倍になることが分かりました。

発症率が10倍になると言われると、体外受精や顕微授精を受けることは大変なリスクを抱えてしまうように感じてしまいます。

ところが、今回の調査で、Beckwith-Wiedemann症候群は28万7000人に1人の割合で、Silver-Russell 症候群は39万2000人に1人の割合で発症していることもわかりました。ですから、その発症率が10倍になったとしても、依然として、大変少ない頻度なわけです。

因に、ダウン症は日本ダウン症ネットワークによりますと、約1000人弱に1人の割合で生まれています。

過大視してしまいがちなのはリスクだけではありません。ベネフィットも、何となくではなく、その治療を受ける目的をはっきりとさせ、どのくらい妊娠に近づくのか、可能であれば数字で把握しておくべきです。

受けた場合に得られるメリットを、これも数量で把握してみると、想像していたほどのメリットではなかったなんていうことになるかもしれません。

そして、リスクとベネフィットを挙げたら、それらを比べます。

もしも、リスクが大変低ければ、その治療法は安全だということになり、ベネフィットの大きさとリスクの低さの差が大きければ、その治療法は受けるメリットが大きいということになるわけです。

さらに、全ての治療法にはベネフィットとリスクがありますが、その内容と大きさはぞれぞれのカップルによって異なります。

不妊の原因やその程度が異なればベネフィットの内容や大きさも、当然、異なるでしょう。また、カップルの考え方や志向、価値観が異なればリスクが高い、低いも、当然、異なってきます。

たとえば、飛行機という乗り物の事故の起こる確率について、「10万飛行時間あたりの死亡事故件数=0.07件」という統計データがあります。その確率をみて、「飛行機は安全な乗り物だととらえる」人もいれば、「飛行機は怖いので、代わりになる交通手段があれば飛行機には乗りたくない」という人もいるわけです。

この場合、どちらが正しくて、どちらが間違っているというものではありません。

不妊治療で治療法を選択する場合、すべてのカップルにとっての正解がないゆえんです。

自分たちが納得の行く治療法を選択する、すなわち、自分たちの納得解を出すためには、リスクとベネフィットの両面を常に意識し、自分たちの尺度でもって、比較し、判断することが大切なことだと思います。