編集長コラム

細川 忠宏

出会うことより関係をつむぐこと

2010年04月19日

ひょんなことからメールをやりとりするようになって5年になるNさんが、かれこれ8年間の不妊期間をへて、この春、妊娠されました。

そして、"授かる"ということは、"大切な人と出会う"ことのようだと、振り返ってみれば、つくづく、そう思うとのこと。
大切な人、たとえば、人生の伴侶との出会いも同じなのではと言うわけです。

本当にその通りだと思いました。

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人、それぞれに、出会い方や出会うタイミングがあります。

私たちは、ついつい、周囲の人たちと比べてしまい、先を越されたとか、取り残されたような、そんな感覚を抱いてしまいます。
また、どうすれば出会えるのかについてのノウハウが気になったり、自分には、その資格がないのか、備わっていないのかを心配したりもします。

ところが、とにかく、人ぞれぞれで、それ以上でも、それ以下でもありません。

どこで、どんなふうに出会うのがいいとか、悪いとか、早く出会うのがよくて、遅く出会うのが悪いとか、そんな問題では、全く、ありません。

ましてや、勝ち負けの問題でもありません。

結果としての出会い方や出会った時期こそが、それぞれの人にとってのベストなのだと信じます。

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いくら頑張って、もがいてみても、どうにもならないこともあります。

コントロールするにも限界があります。

相手あってのことですからね。

ですから、自分の都合やペースにこだわり過ぎると、おかしなことになってしまいかねません。

もちろん、知りあう機会が少ないとか、知りあうことの障害になっていることがあるのであれば、それを取り除くことは必要なことでしょう。

ところが、その先のことは、コントロールしきれるものではありません。

最近、何かと話題の"婚活"でも、出会う機会を増やすこと以上に積極的に努力しても、もしかしたら、そのこと自体が、相手を引かせることになりかねないところがあるように思います。

悲しいのは、コントロールしきれないことではなく、ついつい、コントロールしようと頑張ってしまう、私たちに備わった、どうにもしようのない人情なのかもしれません。

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出会うこと、そのことよりも、関係をつむぐこと、あるいは、関係をつむぐ努力をすることのほうが、よほど大切なことです。

そして、出会うことは、自分の思い通りにはなりませんが、関係をつむぐこと、つむごうとすることは、自分の努力でどうにかなりそうなところが大きそうです。

であれば、出会うことを頑張るよりも、いや、頑張りようのないことに一生懸命になることよりも、よい関係をつむげるようになれるように、自分を高めることに努力することのほうが大事なことでしょう。

そう考えてみると、なかなか授からないことで味わう気持ちや感覚は、いろいろな気づきや発見をもたらしてくれることで、自分を高めることにプラスになる経験にできるはずです。

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もし、私たちの一番の願いが、血がつながっていようがいまいが、周囲の人たちと豊かな関係をつむぎ、この人生を、明るく、創造的に暮らすことであれば、私たちのすべての経験は無駄になるはずがない!
そう信じたいものです。