編集長コラム

細川 忠宏

自然か人工か

2008年10月26日

先週は、偶然にも、不妊治療を受けておられる3組のご夫婦から、同じような内容のご相談というか、お話しになりました。

いずれも、お子さんを望まれる一心で、治療を受けているものの、自然な方法の妊娠ではないところに、気持ち的に、ちょっと抵抗感があったり、漠然とした不安があるとのこと。

Iさんのところは、人工授精を前に、ご主人がちょっと抵抗を感じているとの胸の内を明かされた、そして、Aさん、Mさんは、顕微授精を前に、人為的に授精させることは、本来、淘汰されるはずの精子が選択されうるわけで、何となく、不安だと。

不妊治療を経験したご夫婦であれば、人為的な介入ということについて、程度の差こそあれ、誰しも同じような感覚を抱かれたことがあるでしょう。
まったく、当然のことと思います。

ところが、治療が現実的に進んでいくと、不安や心配の対象は、もっと、直近のこと、具体的なこととなり、そして、一番の関心事は、授かることができるのかどうかということなのですから、そんな懸念も次第に薄れていくようです。

ただ、だからといって、"自然か人工か"ということについての漠然とした不安は、ステップアップに際してのはしかのようなものと、無神経に片付けるわけにはいきません。

とても大切なことについて、誤解や思い込みがあるように思うからです。

1)人工という名前がついているけれど・・・

人工授精の"人工"という言葉は、聞くものにとても強い印象を与えます。

ところが、不妊治療は、何も作り出してはいませんので、言葉の持つ印象だけが一人歩きしているようです。

まったく、間違ったネーミングがなされてしまったわけです。

人工授精や体外受精、顕微授精における人為的な介入や操作の内容は、精子と卵子の距離を縮めること、これに尽きます。

精子や卵子の発生や受精、その後の分割、そして、着床そのものへは介入したくても出来ないのです。

精子のタクシー代わりで、そして、卵子や受精卵を運ぶのは卵管の仕事なわけですから、それを肩代わりしているに過ぎません。

人工物は何一つありません。

2)本当に自然淘汰を受けないのか・・・

顕微授精の場合、人為的に選ばれた精子は、確かに、熾烈な競争を勝ち抜いてきたわけではありません。

ところが、そのことをもって、自然淘汰が働かないときめつけるのは事実に反します。

なぜなら、卵子の中までは助けをかりて到達できたとしても、受精が成立するかどうかは精子に備わったポテンシャルによるところが、決して、小さくないからです。

また、受精が成立した後、受精卵が順調に分割し、成長、そして、着床できるかどうか、それこそ、いくつもの関門、すなわち、自然な淘汰にさらされるのです。

ですから、自然妊娠であろうと、顕微授精であろうと、妊娠し、途中、流産することなく、この世に生を受けたということは、いくつものドラスティックな条件を、立派にクリアしてきた証拠であると理解するのが、それこそ、自然な考え方なのかもしれません。

3)一つの要因を過大評価するのは・・・

人間の身体の状態は、さまざまな要因が複雑に影響を及ぼし合って、決定するもののようです。何らかの要因に対するさまざまなリスクが、100か、ゼロかということはあり得ないということです。

そして、持ってうまれた遺伝的な要因が及ぼす影響は、全体の25%にしか過ぎないという話しを聞いたことがあります。

つまり、自分の努力や工夫でどうにかなるところが、大きいということでもあります。

そんな観点からみると、妊娠に至る道筋の違いが及ぼす影響を過大に評価することは、技術の過信というか、奢った考えにならないとも限りませんし、人間に備わった力を見くびることにもなりかねない、そう思わざるを得ません。

私たちは、大切で、デリケートな問題であればあるほど、善悪二元的な、表面的で、単純なとらえ方ではなく、事実と先入観やイメージ、そして、根拠もなく受け入れられている社会通念とを、きちんと区別したうえで、何が二人にとって大切なことなのか、二人で解釈し直すことがとても大切なことのように思います。