編集長コラム

細川 忠宏

先がみえなくなったとき、いったいどうしたらよいのか

2008年04月14日

最先端の生殖医療技術を駆使して、治療を繰り返しているにもかかわらず、妊娠に至らないとなると、"なぜ、妊娠できないんだろうか・・・"、"なぜ、よりにも自分だけがこんなに苦労しなければならないのか・・・"、心の中は、そんな「?」だらけになってしまうことでしょう。

いきなり、結論を言ってしまえば、妊娠が成立しない、妊娠しても継続しない最大の原因は、あなたのせいでもなく、パートナーのせいでもなく、誰のせいでもなく、"たまたま"、つまり、"偶然"です。

そもそも、何の問題もない若いカップルが、タイミングを合わせて性交渉をもったとしても、妊娠が成立する確率は20%ちょっと、要するに、70%以上は妊娠しないのです、そして、その原因は不明です。

また、排卵しづらいとか、卵管が通りにくい、或いは、男性側で精子の問題で不妊を疑われた場合、不妊原因に治療を施して、問題を取り除いたとしても、依然として、すぐには妊娠に至らないケースは、決して、少なくありません。

なぜなのか?

それは、卵子や精子、または、受精卵に、ある一定の割合で、染色体異常などの問題があるからだと考えられています。

原因は分かりませんが、到底、異常と言える状態ではありません。敢えて言えば、ただ、"そうなっている"としか言いようがありません。

であれば、当事者としては、"どうしようもない"のでしょうか?

私たちなりに考えてみたいと思います。

"偶然"ということをどう解釈すればいいのか

偶然の反対は必然です。

1に1を足すと、必ず、2になる(必然)のか、1に1を足しても、必ず、2にならない(偶然)のかの違いです。

偶然とは、1に1を足すこと以外にも、結果を左右する要素が存在するということであると言えます。

つまり、見える(直接的な)原因と、見えない(間接的な)原因が存在する、言いかえると、私たちにコントロール可能な原因と、私たちにはコントロール不能な原因が存在するということです。

仏教では、因(直接的な原因)と果(結果)の間には、"縁"(間接的な原因)があるということ、そして、結果とは、因と縁が合わさって初めて生じるものだと教えています。

タイミングを合わせて頑張ってみても、また、人工授精や体外受精を繰り返しても、妊娠することもあれば、どうしても妊娠しないこともあるわけです。

妊娠が成立しないことの本質をどう解釈すればいいのか

いかがでしょうか?

表面的には偶然の出来事に見えたとしても、その裏側には、私たちには把握したり、コントロールできない、複雑なシステムが存在しているようです。

ということは、一見、偶然なようでも、すべては必然、つまり、起こるべくして、起こっていると言えなくもありません。

そして、大切なことは、なぜ卵子や精子、受精卵に、ある一定の割合で染色体異常があるのか、その原因が、私たちには分からなくて、そのことを私たちにはコントロール出来なくても、染色体異常をもった受精卵は、結果として、妊娠しない、あるいは、たとえ、妊娠が成立したとしても、継続しないということは、受精卵にとって、そして、その両親にとって、本当は、悲しむべきことではなく、有利なこと、感謝すべきことであるということです。

なぜなら、染色体異常を抱えたまま、生まれてきたとしても、本人や両親、そして、社会の負担やリスクはとてつもなく大きいからです。

要するに、妊娠が成立しないことの本質は、母なる大自然、または、神様と言えばよいのか、いろいろな表現方法があるのでしょうが、私たちに"よかれ"と思ってのことだということです。

人事を尽くして天命を待つということ

"そうなっている"こと、そして、母なる大自然の良心の下では、よい結果に巡り合うためには、出来るだけよい原因を揃えておいて、ご縁を待つことです。

"人事を尽くして天命を待つ"ということです。

具体的に言えば、どうしようもないことでも、諦めるということでもありませんし、反対に、自力で、頑張って、どうこうしようとすることでもありません。

一言で言えば、じたばたしないということです。

特に、治療を繰り返しても、繰り返しても、結果が出ないときほど、もっと、頑張って、どうにかしようとするのが人情なのですが、そんな時ほど、言ってみれば、"流れに逆らわない"のが得策なようです。

何と言えばよいのか、大きな"流れ"のようなものがあって、うまくいかない流れがある時は、何を試みてもうまくいかないように思えてなりません。

かえって、人間の無力さを思い知らされるだけのように思います。

それは、その時々の体質的なものがあるのか、よく分かりませんが、ただ、そんな流れみたいなものがあることは間違いありません。

治療を繰り返しても、ことごとくうまくいかなかったにもかかわらず、しばらくして、ひょこっと、自然妊娠するということが、少なからず、あります。

ストレスの影響によるものだけなのでしょうか、これまで、論理的に納得できる説明を聞いたことがありません。

ただ、"流れが変わった"としか、適当な言葉が見当たらないのです。

であれば、流れに逆らわないことが、結局は、いい結果を得ることになると言えるのかもしれません。

子どもは"授かるもの"であるならば

子どもは、つくるものではなく、授かるものであるとされています。

普段、何気なく使っている"授かる"という言葉ですが、改めて、"授かる"ということの意味を考えてみたいと思います。

まずは、"授かる"時期は、授けるほうが決めることであって、授かる側の希望や都合を聞き入れてくれるわけではありません。

そして、"授かる"ということは、授かるほうが、手を伸ばして、獲得しに行くことではなく、授かるための受け入れる環境を整え、そして、待つということです。

さりげなく、かつ、積極的な、受け身とでも言えばよいでしょうか。

今を、いかに、楽しく生きるか

そうなっていること、自然の理を、不幸とは呼べません。

そして、誰にでも起こること、すなわち、年をとること、それに伴って、老化していくことは、生き物としては、至極、当たり前のことで、それこそ、意味もなくハッピーなことなのかもしれません。

長い人生において、いつ授かるのか、また、授かるのか、授からないのかは、二人にとって、ハッピーな人生かどうかとは別次元のことです。

人生において、起こること、起きることが、二人にとって、よいことなのか、悪いことなのか、いったい、誰が、どの時点で、判断を下すのでしょうか?

授かるのにマイナスであるとされていることは遠ざけて、プラスになるとされていること、自分たちでプラスになりそうだと思うことを取り入れて、待つ。

そして、頑張ってやるべきことは、今を、いかに、楽しく生きるかということに、全力で、知恵を絞り、努力することではないでしょうか。

私たちはそう確信しています。