編集長コラム

細川 忠宏

好き嫌いも大切な判断基準

2008年01月13日

望んでいるにもかかわらず、なかなか授からない期間が長くなってくると、いろいろな選択を迫られる機会が少なくありません。

例えば、不妊治療を受けるのかどうか、そして、受けると決めれば、いつ、どの病院に行くのか、また、通院が始まったら、始まったで、
どんな治療を、どのくらい繰り返すのか(いつステップアップするのか)、ともすれば、次々と、決断を迫られるような気分を味わうかもしれません。

そもそも、不妊症と書けば、病気のようですが、ほとんどのケースでは、命にかかわるような緊急事態ではありませんし、日常生活に支障をきたすわけでもありません。

また、その程度は、身体の状態だけでなく、お二人がどのくらいお子さんを望んでいらっしゃるのかによっても、違ってくるものです。

このような特有の事情から、"自分たちはどうするのか"が、常に、求められるわけです。

だからこそ、自分たちで答えを出すことがとても大切です。

さて、前置きが長くなってしまいました。

皆さんは、そんなときに、何を判断基準にしているのでしょうか。

たいていは、医師のアドバイスやそれに伴う情報、たとえば、妊娠率や成功率、副作用、費用についての数値などを参考にして、二人で話しあって、という感じでしょうか。

私たちは、そんなロジカルな考え方をベースにしつつも、特には、"好き嫌い"という判断基準も大切にすべきだと思っています。

少し感覚が違うかもしれませんが、"美しいか、美しくないか"という基準もあります。

例えば、成功率が高いから、或いは、有名な先生に勧められた方法だから、はたまた、一番ポピュラーな方法だからという理由で、気が進まないのにもかかわらず、頑張ってその方法を続けた結果、大きなストレスを抱え込むことになって、かえって、マイナスになってしまうというケースが、意外にも少なくないからです。

まあ、無理は禁物だということなんでしょうが、お子さんを望む気持ちが強くなればなるほど、そして、真剣に考えれば考えるほど、自分を型にはめてしまうというか、専門家の意見やアドバイスに従うべきだと考えるふしが、あるように思えるのです。

生殖医療技術が進歩すればするほど、皮肉にも、数値で計ることが困難な心の状態が及ぼす影響が、決して無視できないことが次第に明らかになってきているようです。

まさに、技術は使い方次第なわけです。

自分たちで決めるということは、自分たちなりの判断基準で決めるということであり、それこそが"自分たちらしい"選択になるのではないでしょうか。

ある意味、多少の"我がまま"が必要な時があるのかもしれません。