編集長コラム

細川 忠宏

不妊経験が育む信じる心

2007年06月24日

世界で最も体外受精が盛んな国であるイスラエルから、長い不妊期間を経験し、体外受精で子どもを授かった女性の出産前の心理状態を、自然妊娠で授かった女性のそれと比べた研究が報告されています。

体外受精で授かった女性30人と自然妊娠で授かった女性30人に、出産前に、インタビューとアンケートを実施し、自分のこと、生まれくる子どものこと、そして、パートナーのことについて、どのような気持ちを抱いているのかを聞いています。

その結果はとても興味深いものです。

自然妊娠した女性に比べ、体外受精で妊娠した女性の方が、自分自身のことや生まれくる子どものこと、そして、パートナーのことについて、不安や心配なこともあるものの、より前向きで、肯定的な気持ちを抱いているというのです。

さらに、同じ体外受精で授かった女性のあいだででも、妊娠するまでに多くの治療周期を要した女性の方が、よりそんな気持ちが強かったというのです。

考えてみれば、自分やパートナー、そして、未だ見ぬ我が子のことを、理屈抜きに信じられるということはとても幸せなことで、未だ見ぬ子どもにとっては、最高の環境が用意されていると言っても過言ではありません。

不妊を経験すること、そして、不妊治療を経験することは、ただ単に"辛いだけの経験"で終わるわけではないということを、この研究報告は教えてくれているように思います。

まだはっきりと自覚されていない副作用があるに違いありません。

望んでもなかなか授からない、そして、不妊治療に助けを求めるということは、辛い思いをせざるを得ないものなのですが、何を経験することで、何を得るものなのでしょうか?

自然妊娠では、ある日、突然、授かったことを知るわけですが、長い不妊期間を経験するということは、授かるまでに、授かることの難しさをいやというほど感じることであり、体外受精を受けるということは、そのプロセスごとに"生と死"を経験するといっても過言ではなく、世間で、どんな言葉で形容されていようとも、それは、我が子の命を見つめ続けることに他なりません。

私たちは"生命の誕生の神秘さや偉大さ"について、言葉では、簡単に、口にすることが出来ますが、そのことを、我が身をもって、実感することがあるでしょうか。

我が子の健康を祈るのは、どこの親でも同じなのでしょうが、精子や卵子、そして、受精卵の元気を、どれだけの親が、繰り返し、祈り、感謝したことがあるでしょうか。

不妊期間や体外受精のプロセスは、人間にとって最も大切な、"命"の本質に触れ、そして、感じることであるならば、現在進行形では、精神的にも、肉体的にも、そして、もしかしたら経済的にも、ただ辛いだけの経験にしか思えないのかもしれませんが、その副作用は、とてつもなく大きいものであることは間違いありません。