編集長コラム

細川 忠宏

答えを待つことなかれ

2006年06月11日

望んでも、なかなか授からない期間が長くなり、特に、不妊治療を受けるようになって、何か、釈然とせずに、戸惑うことが多くなってはいませんか?
それは、もしかしたら、万人に当てはまる答えなど存在しないのに、答えを待ち続けているからなのかも知れません。

なかなか授からないという悩みは同じでも、不妊症というカラダやココロの状態は、百人百様です。

そして、どんな治療をどこまで受けるかとなると、それぞれの夫婦の子どもを持つということへの思いの強さ、不妊治療に対する価値観など、 それこそ、百人百様でしょうから、尚更、共通の答えなど、存在するわけがありません。
たとえ、専門家の勧めであったとしても、1つの選択肢を示してくれているに過ぎないわけです。

この状況で、答えを待っていれば、いつまでたっても悩むばかりで、それどころか、どんどん悩みや焦りが大きくなってしまいかねません。

無闇やたらと情報を集めるのも、そういう意味で考えものです。

自分たちに必要な情報は自分たちにしか分かりませんし、自分たちに相応しい情報は、自分たちにしか探せないもので、自分たちに相応しい判断は、自分たちにしか下せません。

ましてや、高度な生殖医療が抱えるリスクは、長期間に渡る子どもへの影響等、その全貌が明らかになっているわけではありません。
要するにリスクがゼロではないということです。

ここは、高額な商品を購入する際の消費者の感覚を、持つことが必要なのかも知れません。

取り返しのつかないリスクが伴うからです。

提供されるもののプラス面とマイナス面、そして、それらの自分たちへの必要度、自分たちの予算との兼ね合い、それぞれの選択肢を自分たちの培ってきた価値観に照らし合わせること、さらには、専門家にどんなアドバイスを求めるのか、かかる費用が高額であればあるほど、そして、伴うリスクが大きければ大きいほど、真剣勝負なわけです。

そうです。

応用問題なのです。

夫婦によって、それぞれの条件が異なります。

一見、複雑で回答困難なようにみえる応用問題も、今、一度、冷静に、自分たちの"条件"を二人で確認すれば、きっと、自分たちに相応しい選択や判断がみえてくるはずです。

まず、悩み、考えるべきなのは、一言でいうと、 いったい、自分たちは、どんな人生を歩みたいのか、です。

息苦しいほどに、妊娠することを切望し続けていると、ついつい、肝心なことをすっ飛ばしてしまうのかも知れません