編集長コラム

細川 忠宏

お子さんは?攻撃

2003年12月27日

年末年始のお休みには、ご夫婦で温泉にでもつかって、日頃の治療のことや日常の煩わしいことから解放され、リラックスするチャンスです。

ところが、年末年始は、両方の両親を始め、親戚、幼なじみに会わざるを得ない機会でもあります。

で、会うと決まって聞かれるのが、「お子さんは?」という質問。
この「お子さんは?」攻撃を考えると、とても憂鬱になると、なかなかお子さんを授からないことを気にかける女性は口を揃えます。

これは困りましたね。
なんやかんや言っても、やっぱり結婚すれば子供が出来て当たり前、というような意識は、昔に比べればましになったとは言え、まだまだ強いものです。

まあ、ご両親はさておいて、他人のその手の質問は、いわば挨拶代わりのようなものです、気にしないでおきましょう! なんて言っても答えになっていないですね。

冷静に考えてみると、挨拶代わりの軽い気持ちで尋ねていることや、そこに他意などない、なんてことは百も承知していても、やはり、その度にグサッとくることには変わりありません。

そうです。子供が欲しいのになかなか出来ないという悩みは、経験しないと、絶対に誰にも分かりません。
もっと言うと、経験したとしてもそれぞれの状況は異なるわけですから、その悩みは、当人でないと、絶対に分かりません。

ここでは、そんな「お子さんは?」攻撃の対処法だとか、安易で、表面的ななぐさめを書くつもりは毛頭ありません。
そんな事でお茶を濁せるわけはないからです。

思っていることを率直に申し上げます。

これは、こと不妊に限らないテーマだと思うのです。世間では当たり前のように思われていることが、自分には、たまたまそうでなかった場合、誰しも少なからず、他人の何気ない一言に深く傷ついているのではないでしょうか。

それも、自ら選択した結果ではなく、望んでもそうではない、という場合は尚更辛いものです。

例えばですね、子供が五体満足でないとか、片親が何かの事情でいないとか、です。

そんな時、人間って物事を深く考えるようになると思うのです。普通は、気にも留めないような事を考えさせられたりします。

で、色々感じます。
普通は、感じることがないような事も感じたりします。
他人のことがとてもよく見えたりします。

ちょっと、抽象的になりますが、人間の本質的なことだとか、世の中の不条理なことだとか、です。

それで、最初はひねくれていても、概ね、人間的な深みが備わってくることになるのではないでしょうか。

なかなか子供が出来にくい、不妊症だと診断された、そうなると、皆さん、直ぐにお子さんが出来ていれば、考えようのないことまで考えます。

夫婦とは?
家族って一体なんなのか?
本当の幸せとは?
人間関係って? とか、
それはもう色々考えさせられるものです。

何かを強烈に求めれば、それを手に入れることが目的になってしまうなんてことは、よくあることです。
そして、手に入った途端、どうして、私は、これが欲しかったのだろう、 なんて思ったりします。

何を言いたいか、
例え、お子さんは?攻撃で傷ついたとしても、それは仕方のないことです。

それよりも他の人は経験出来ないことを経験することで、より人生を幸せに生きるきっかけに出来れば、それは、最高に素晴らしいことではないか、 ということです。

おそらく、こういうのを前向きに生きるっていうのではないかと 思うわけです。