編集長コラム

細川 忠宏

続・ふたりできめるということ

2009年03月15日

先が見えないトンネルにたとえられるように、いつになったら授かることができるのか、誰にもわかりません。

つまり、"結果について"は、私たちは、コントロールすることができないということです。受け入れ難いものがありますが、否定できない事実です。

ところが、"プロセスについて"は、私たちは、コントロールすることが可能です。

簡単ではありませんが、出来ることです。

プロセスについてのコントロール感があるかないかが、結果についての納得感というか、受け入れ感みたいなものに、大きな影響を及ぼすのではないかと、これまでの経験で思います。

プロセスについてのコントロール感を持つこと、すなわち、プロセスについては、自分たちが決めるということです。

結果が思うようにならないところがあるのであれば、プロセスは、やりたいようにやらせてもらいますわー、ということです。

とても難しいことですけどね、実際。

ただ、できるかできないかでいえば、できることです。

ハーバード大学の社会心理学部の学部長であるダニエル・ギルバート教授は、その著書、「幸せはいつもちょっと先にある ~ 期待と妄想の心理学」で、興味深い研究報告を紹介してくれています。

少々、長くなりますが、引用します。

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老人ホームの入所者に観葉植物を配って、半数の入所者には自分で植物の手入れや水やりを管理してもらい、あとの半数の入所者には職員が植物の世話をするようにしたところ、半年後、前者の入所者で亡くなったのは15%だったのに対して、後者ではその倍の30%が死亡したというのです。

また、学生のボランティアに入所者を定期的に訪問させ、半数の入所者には訪問してほしい日と時間を自分で決めてもらい、あとの半数の入所者には、学生が訪問の日と時間を決めたところ、2ヶ月は、前者の入所者のほうが、より幸せで、健康で、活動的で、摂る薬の量が少なかったとのこと。

ところが、学生の訪問が終わったら数か月後、前者の入所者の死亡数が極端に多くなったというのです。

それは、学生の訪問日時の決定権を与えられ、自分でそれをコントロールすることで心身によい影響を得ていた入所者らは、研究が終わったとたん、そのコントロールをなくしたわけで、コントロールを得ることは、健康や幸福にプラスに働くものの、コントールをなくすのは、はじめから持っていないよりも、深刻な事態を招きうるとのこと。

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この研究報告はさまざまなことを示唆してくれているようです。

プロセスをコントロールすること、自分で決めて、実行することは、心や身体の健全度を高めますが、"こんなはずじゃなかった"という事態は、反対にとても辛いもの。

このことが正しければ、さまざまな起こりうる事態を想定しつつ、二人で、相談しながら、二人で、決めて、実行すれば、自分たちを見失うことなく、楽しく過ごしながら、赤ちゃんを待つことができるように思うのですが、いかがでしょうか?