私たちは、自身の体に備わった生殖活動をコントールできるのでしょうか?
こう改めて、聞かれると、そんなこは不可能であることくらい、誰だって知っています。
ところが、そのように、頭では理解しているのに、私たちは、実生活では、まるで、 自分たちの支配下におけるかのごとくに考え、そして、振る舞っています。
例えば、不妊に悩んでおられるご夫婦は、皆さん、口を揃えて、避妊を止めれば、すぐに、妊娠出来るものと思っていたとおっしゃいます。
また、結婚の際に、決まって聞かれることは、「お子さんはいつ頃に?」とか、「お子さんは何人つくるのですか?」とか、妊娠を望むようになったらなったで、「神経質になったらダメよ」、或いは、「これ食べて、あれ食べて」、しまいには、「こんな体位でこうやって」等まで、ご親切ではありますが、有り難くないアドバイスを頂戴することになります。
生殖も、機械を操るかのように、コントロール下におこうとするのが、私たちの普通の意識のようです。
ところが、そんな意識は、なかなか、妊娠しないとなると、悩みや苦しみを大きくしてしまうのです。
なぜなら、妊娠できないことで、自分を責めるからです。
要するに、自分は、妊娠することに、"失敗した"となるからです。
例えば、それまでの、自分の生活習慣のせいにしてみたり、或いは、ストレスのせいにしてみたりします。
もっと、悲しくなってしまうのは、よく分からないけれども、 なぜか、自分の身体が不完全だからとか、とにかく、自分が悪い、なんてこともあります。
実際、驚くほど、よくあります。
ところが、妊娠のジグソーパズルを完成させるために、私たち、人間の手で、全てのピースをはめることは、不可能です。
ですから、手元のピースを、全て、正しくはめたとしても、要するに、全ての準備と用意をしたとしても、必ずしも、望みが叶わない結果になることもあるということ、かつ、それは、誰のせいでも、誰の責任でもないのです。
ただし、くれぐれも、誤解しないで頂きたいのは、自分なりの努力をすることは、無駄であると言っているのではありません。
妊娠しやすいカラダづくりのためのさまざまな努力は、妊娠への近道になることは間違いありません。
ただ、生殖を、100%、私たちの支配下におくことは出来ない、ですから、たまたま、悲しい結果に終わったとしても、自分を責めても、全く、仕方のないことだと言いたいのです。
私たちがコントロール出来ることについては努力を惜しまず、そして、私たちがコントロール出ないことは謙虚に受け入れること、自分たちを見失うことなく、不妊の期間をうまくやっていくためには、最も大切なことではないかと思うわけです。
生殖のプロセスは、人間には、100%コントロール出来ない、このことは、頭では、理解している積もりですが、現代社会は、そんな当たり前なことを、忘れさせてしまう風潮が蔓延しているようです。