最先端の生殖医療技術を駆使して、
治療を繰り返しているにもかかわらず、
妊娠に至らないとなると、
“なぜ、妊娠できないんだろうか・・・”、
“なぜ、よりにも自分だけがこんなに苦労しなければならないのか・・・”、
心の中は、そんな「?」だらけになってしまうことでしょう。
いきなり、結論を言ってしまえば、
妊娠が成立しない、妊娠しても継続しない最大の原因は、
あなたのせいでもなく、パートナーのせいでもなく、誰のせいでもなく、
“たまたま”、つまり、“偶然”です。
そもそも、何の問題もない若いカップルが、
タイミングを合わせて性交渉をもったとしても、
妊娠が成立する確率は20%ちょっと、
要するに、70%以上は妊娠しないのです、そして、その原因は不明です。
また、排卵しづらいとか、卵管が通りにくい、
或いは、男性側で精子の問題で不妊を疑われた場合、
不妊原因に治療を施して、問題を取り除いたとしても、
依然として、すぐには妊娠に至らないケースは、決して、少なくありません。
なぜなのか?
それは、卵子や精子、または、受精卵に、ある一定の割合で、
染色体異常などの問題があるからだと考えられています。
原因は分かりませんが、到底、異常と言える状態ではありません。
敢えて言えば、ただ、“そうなっている”としか言いようがありません。
であれば、当事者としては、“どうしようもない”のでしょうか?
私たちなりに考えてみたいと思います。
◎“偶然”ということをどう解釈すればいいのか
偶然の反対は必然です。
1に1を足すと、必ず、2になる(必然)のか、
1に1を足しても、必ず、2にならない(偶然)のかの違いです。
偶然とは、1に1を足すこと以外にも、
結果を左右する要素が存在するということであると言えます。
つまり、見える(直接的な)原因と、
見えない(間接的な)原因が存在する、
言いかえると、私たちにコントロール可能な原因と、
私たちにはコントロール不能な原因が存在するということです。
仏教では、因(直接的な原因)と果(結果)の間には、
“縁”(間接的な原因)があるということ、
そして、結果とは、因と縁が合わさって初めて生じるものだと教えています。
タイミングを合わせて頑張ってみても、
また、人工授精や体外受精を繰り返しても、
妊娠することもあれば、どうしても妊娠しないこともあるわけです。
◎妊娠が成立しないことの本質をどう解釈すればいいのか
いかがでしょうか?
表面的には偶然の出来事に見えたとしても、
その裏側には、私たちには把握したり、コントロールできない、
複雑なシステムが存在しているようです。
ということは、一見、偶然なようでも、すべては必然、
つまり、起こるべくして、起こっていると言えなくもありません。
そして、大切なことは、
なぜ卵子や精子、受精卵に、
ある一定の割合で染色体異常があるのか、
その原因が、私たちには分からなくて、
そのことを私たちにはコントロール出来なくても、
染色体異常をもった受精卵は、結果として、妊娠しない、
あるいは、たとえ、妊娠が成立したとしても、継続しないということは、
受精卵にとって、そして、その両親にとって、
本当は、悲しむべきことではなく、
有利なこと、感謝すべきことであるということです。
なぜなら、染色体異常を抱えたまま、生まれてきたとしても、
本人や両親、そして、社会の負担やリスクはとてつもなく大きいからです。
要するに、妊娠が成立しないことの本質は、
母なる大自然、または、神様と言えばよいのか、
いろいろな表現方法があるのでしょうが、
私たちに“よかれ”と思ってのことだということです。
◎人事を尽くして天命を待つということ
“そうなっている”こと、
そして、母なる大自然の良心の下では、
よい結果に巡り合うためには、
出来るだけよい原因を揃えておいて、ご縁を待つことです。
“人事を尽くして天命を待つ”ということです。
具体的に言えば、
どうしようもないことでも、諦めるということでもありませんし、
反対に、自力で、頑張って、どうこうしようとすることでもありません。
一言で言えば、じたばたしないということです。
特に、治療を繰り返しても、繰り返しても、結果が出ないときほど、
もっと、頑張って、どうにかしようとするのが人情なのですが、
そんな時ほど、言ってみれば、“流れに逆らわない”のが得策なようです。
何と言えばよいのか、
大きな“流れ”のようなものがあって、
うまくいかない流れがある時は、
何を試みてもうまくいかないように思えてなりません。
かえって、人間の無力さを思い知らされるだけのように思います。
それは、その時々の体質的なものがあるのか、よく分かりませんが、
ただ、そんな流れみたいなものがあることは間違いありません。
治療を繰り返しても、
ことごとくうまくいかなかったにもかかわらず、
しばらくして、ひょこっと、自然妊娠するということが、
少なからず、あります。
ストレスの影響によるものだけなのでしょうか、
これまで、論理的に納得できる説明を聞いたことがありません。
ただ、“流れが変わった”としか、適当な言葉が見当たらないのです。
であれば、流れに逆らわないことが、
結局は、いい結果を得ることになると言えるのかもしれません。
◎子どもは“授かるもの”であるならば
子どもは、つくるものではなく、授かるものであるとされています。
普段、何気なく使っている“授かる”という言葉ですが、
改めて、“授かる”ということの意味を考えてみたいと思います。
まずは、“授かる”時期は、
授けるほうが決めることであって、
授かる側の希望や都合を聞き入れてくれるわけではありません。
そして、“授かる”ということは、
授かるほうが、手を伸ばして、獲得しに行くことではなく、
授かるための受け入れる環境を整え、そして、待つということです。
さりげなく、かつ、積極的な、受け身とでも言えばよいでしょうか。
◎今を、いかに、楽しく生きるか
そうなっていること、自然の理を、不幸とは呼べません。
そして、誰にでも起こること、
すなわち、年をとること、それに伴って、老化していくことは、
生き物としては、至極、当たり前のことで、
それこそ、意味もなくハッピーなことなのかもしれません。
長い人生において、いつ授かるのか、
また、授かるのか、授からないのかは、
二人にとって、ハッピーな人生かどうかとは別次元のことです。
人生において、起こること、起きることが、
二人にとって、よいことなのか、悪いことなのか、
いったい、誰が、どの時点で、判断を下すのでしょうか?
授かるのにマイナスであるとされていることは遠ざけて、
プラスになるとされていること、
自分たちでプラスになりそうだと思うことを取り入れて、待つ。
そして、頑張ってやるべきことは、
今を、いかに、楽しく生きるかということに、
全力で、知恵を絞り、努力することではないでしょうか。
私たちはそう確信しています。
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