編集長コラム

細川 忠宏

避けがたい心の苦痛に対して私たちに何ができるのだろう

2012年09月05日

なかなか授からない女性の心の苦痛について、アメリカの研究チームが、大変興味深い研究結果を報告しています(*1)。

25歳から45歳のランダムに選択した4787人の女性の中で、不妊症と診断された266名の女性を対象に、不妊治療を受けたか受けなかったか、子どもを授かったか授からなかったかで8つのグループに分けて、調査開始時と3年後の心の苦痛のレベルを測定しています。

それによると、心の苦痛レベルが最も高かったのは以下の4つのグループでした。

・調査開始時に治療を受けていたが子どもを授かっていないグループ。
・調査開始時も3年後も治療を受けていて子どもを授かったグループ。
・調査開始時に治療を受けていて子どもを授かったグループ。
・調査開始時も3年後も治療を受けていて子どもを授かっていないグループ。

そして、その次に苦痛レベルが高かったのは次の2つのグループでした。

・調査開始時は治療を受けていなかったが3年後は治療を受けていて子どもを授かっていないグループ。
・調査開始時は治療を受けていなかったが3年後は治療を受けていて子どもを授かったグループ。

最後に、苦痛レベルが最も低かったのは次の2つのグループでした。

・不妊治療を受けていなくて子どもを授かっていないグループ。
・不妊治療を受けていなくて子どもを授かったグループ。

いかがですか?

心の苦痛は、"子どもを授かったか授からなかったか"ではなく、"不妊治療を受けたか受けなかったか"なのです。

そして、不妊治療を受けたグループでは、その期間が長いほど心の苦痛が大きくなっています。

驚くべき内容です。

要するに、心の苦痛の根本原因は、子どもを授からないこと、すなわち、不妊そのものよりも、不妊治療経験だというのです。

もう一つ、研究報告を紹介します。

それは、体外受精や顕微授精を受けている40組のカップルを対象に、それぞれの治療段階、すなわち、hmg注射、hcg注射、採卵、受精確認、胚移植、胚移植8日目、妊娠判定時のカップルの心の苦痛レベルを測定したイギリスとスウェーデンの研究チームの報告です(*2)。

それによると、女性も、男性も、心の苦痛レベルは、胚移植後までは、ほとんど、フラットですが、妊娠判定時にだけ飛びぬけて高くなっています。

このことは、体外受精や顕微授精の治療周期において、心の苦痛の最も大きな源は、治療結果を知らされることだということを物語っています。

つまり、心の苦痛の最大の原因は、"治療が報われないこと"だというわけです。

さて、なかなか授からないこと、そして、不妊治療を受ける辛さや苦しさは、そのことを経験している当人でないと絶対にわからないものでしょう。

たとえ、同じ悩みを抱える人でも、その背景はぞれぞれに異なるわけで、理解し合うことは、決して、簡単なことではないのかもしれません。

だからこそ、現在進行形で治療を受けておられるカップルにとっても、これから治療をはじめようとされているカップルにとっても、この2つの研究報告の内容を知っておいて欲しいと思うのです。

誤解しないでもらいたいのは、だからと言って、不妊治療を受けずに妊娠を目指したほうがいいと言いたいわけではありません。

そうではなくて、予めこのことを知っておくことで、自分を客観視したり、備えたりすることが出来るのではないかと思うのです。

そして、そのことが、苦痛や悲しさ、辛さ、ストレスの軽減になるのではないかということ。

何を言いたいのかと言うと、もしも、心の苦痛の最大の原因が子どもを授からないこと、そのものであるならば、これはもう、私たちにはどうすることもできないということになるのですが、そうではなくて、そのことよりも、不妊治療経験だということは、私たちの取り組み次第ではどうにかなるということです。

無力感ほど辛いものはありませんが、どうにかなるとなれば、少しは前を向けるじゃないかと、そう言いたいのです。

それでは、不妊治療に臨むにあたって、避けがたい心の苦痛に対して私たちに何ができるのでしょうか。

それぞれのカップルにとって、ぞれぞれのやり方があると思いますが、一つ、オキシトシンという脳内物質があります。

脳内物質と言われていますが、ホルモンのようでもあり、その働きは多彩です。

その中で、幸福な家庭を築くためのサポートをする働きがある、私たちはそのように理解しています。

これまでの研究で確かめられている働きの中で、オキシトシンは「男女の愛を育み」、「性交時に精子と卵子を出会いやすくし」、「出産時に子宮を収縮させ胎児を母体から出させ」、「授乳時に母性脳を形成する」というものがあります。

いかがですか?

まさに、「幸福な家庭を築くサポート」ですよね。

この脳内物質が、女性にも、男性にも、活発に分泌されれば、お互いの愛情が深まり、セックスの回数が増え、その内容が濃くなり、そして、妊娠しやすくなり、安産や家族の絆を強くするのです。

そして、オキシトシンは「ストレスに強いメンタリティ」を育む働きもあります。

一方、この幸福な家庭を築くサポートになるオキシトシンは"スキンシップ"で分泌が活発になることもわかっています。

つまり、お互いの肌に触れあうということです。

ところが、東京女性医科大学産婦人科と慶應義塾大学の産婦人科の共同研究(*3)によると、不妊外来に通院を始めると、男女間のコミュニケーション不足や性交回数の低下に陥ってしまいやすくなると報告しています。

それも、カップルの年齢が高くなるほど、その傾向が強くなるとのこと。

このことは、高齢になるほど、不妊治療期間が長くなり、そのことが心の苦痛を大きくする可能性が高くなるにも関わらず、それに対して全くの無防備であることを物語っています。

そんなカップルほど、お互いに頻繁に触れ合い、オキシトシンを活発に分泌させ、絆を深め、ストレスに強いメンタリティを育みたいものです。

そのことは、きっと、幸福な家庭を育むことにつながる、そう信じます。


[文献]

*1)Greil,et al.
Infertility treatment and fertility-specific distress: A longitudinal analysis of a population-based sample of U.S. women
Social Science & Medicine. 2011Jul;73(1):87-94

*2)Bovin,et al.
Psychological reactions during in-vitro fertilization: similar response pattern in husbands and wives
Hum Reprod.1998;13(11):3262-3267

*3)清水聖子他
不妊外来通院者における加齢及び性別によるセクシャリティの評価
2011年抗加齢医学会口頭発表P038