編集長コラム

細川 忠宏

NHKスペシャル「産みたいのに産めない~卵子老化の衝撃」をみて

2012年06月24日

NHKで放映されたドキュメンタリー「産みたいのに産めない~卵子老化の衝撃」を見ました。

とにかく、とにかく、重苦しい内容でした。

それもそのはずで、産みたいのに、産めないのは、主に、女性の加齢に伴う"卵子の老化"が原因であること、卵子の老化に対しては不妊治療効果は低いこと、そして、それは、日本では"卵子の老化"について、学校で教えたり、社会的な啓蒙をしてこなかったからであると、まるで、そのことを社会に"告発"するかのようなトーンだったからでしょうか。

最後のナレーション、「私たちが生み出した新たな不妊」という言葉が象徴しているかのようでした。

現実を正しく認識することは必要ですし、問題を根本的に解決するためには、まずは、このことを多くの人々にちゃんと知ってもらう必要があるというNHK取材班の強い動機はよくわかりますが、それにしてもです、"本当のことを、知ってさえいればどうにかなっていたかもしれない・・・"とか、"夫がはじめから協力的でありさえすれば、どうにかなっていたかもしれない・・・"という、徹底的に、"どうにもしようのない"という視点で語られると、正直、重苦しさしか残りません。

いずれにしても、現在、不妊の主な原因は、"妊娠適齢期"と"妊娠希望年齢"のギャップであることを、多くの人々が知ることで、やがて、日本の多くの夫婦が"納得して"妊娠希望時期を決定するようになることを期待するばかりです。

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この「妊娠適齢期と妊娠希望年齢のギャップ」や「卵子の老化」について、"自分事として"考えてみると、いつも思うところがあります。

まずは、今、直面している問題を"誰も教えてくれなかった"ことのせいにしてしまうと、気持ちが救われないというか、後悔しか残らないように思えてならないのです。

的外れなたとえだと非難されるかもしれませんが、制限速度を知らなくても、もしくは、誰も制限速度を教えてくれなくても、制限速度をオーバーして、運が悪ければ、反則キップは切られるわけです。

でも、スピードを出す必要があったのか、単に、スピードを楽しみたかったのかは別として、スピードを出したのは自分なわけです。

もちろん、もしも、知識やアドバイスがあれば、違った判断をしていたかもしれないことは否定できません。

でも、どこまでの知識やアドバイスがあれば、判断を変えていたのか、今となっては知る由もありません。

多少の負け惜しみも入るかもしれませんが、自分の行動は全て積極的に選択した結果と思いたい、そう思うのです。

人生の大切なことであれば、尚更のことです。

そのことは、自分やふたりの人生を大切にすることだと思います。

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番組では、"卵子の老化"に対しては、最先端の生殖補助医療でも解決できないことがクローズアップされていました。

八方ふさがり的で、とても辛いシーンがいくつもありました。

でも、そのことを、ことさら強調されなくても、そもそも、生殖補助医療は、具体的に何を"補助"するのか、正しく理解しておけば、少なくとも過大な期待を抱くことは避けられるように思えてなりません。

生殖補助医療は何を"補助"するのか。

それは、卵子と精子の距離を縮めることに尽きます。

ですから、卵子と精子が出会いにくい、出会えないことが妊娠の障害になっているのであれば、絶大な治療効果が発揮される治療です。

ところが、卵子と精子がちゃんと出会えているのだけれども、卵子の老化が原因で妊娠しづらくなっているところに、いくら"出会わせて"も、効果が出ない(妊娠できない)のは当然と言えば、当然なわけです。

一方、卵子が年をとることによる「染色体異常」、すなわち、新しい命がすこやかに育つように遺伝子が、正しく命令できなくなってしまえば、そのことを元に戻す方法は存在しません。

そして、そのことを逆転できないのは、全ての生物がサバイバルするために必要で、全ての生物に平等な宿命です。

ところが、老化のスピードには細胞によって差がある、すなわち、卵巣内の全ての卵子が同じ速度で老化するわけではないこと、そして、老化現象の中には"どうにもならない"ものと"どうにかなる"ものがあることも事実です。

であれば、どうにもならないことは潔く無視して、どうにかなることに全力で対策を講じるのが、後々、後悔しない態度ではないでしょうか。

端的に言えば、現代に特有の生活習慣や環境やストレスなどが、新しい命がすこやかに成育する体内の環境を悪化させていれば、それは、当たり前な生活習慣を心がけること、或いは、抗加齢医学的なアプローチでどうにかなる可能性があります。

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その昔、感覚的に言えば、バブル以前でしょうか、結婚や子づくりに対して、のんきに構えていても、周りがいろいろとお節介を焼いていたように思います。そして、それを当たり前なこととして受け入れていたようにも思います。

周りというのは、血縁や地縁、職場の上の世代の人々です。

そもそも、お見合いなんて、周囲のお節介の最たるものでしょう。

ですから、女性には妊娠に適した時期があるなんていうことを知らなくても、適した時期に子どもを産んでいたのでしょう。

ところが、"個"が尊重されるようになれば、お節介は美徳ではなく、ともすれば、"セクハラ"になってしまいました。

もちろん、個が尊重されるようになったことは、基本的には喜ばしいことに違いありません。

ところが、その半面、どんな生き方をするのか、選択肢が増え、それとともに、個の責任が問われるようになったわけです。

だからこそ、自分たちの"内なる"幸福感や価値観を大切にし、それを実現するために環境を整え、ふたりで積極的に選択することがとても大切になように思います。

そして、本当に救われることには、この10数年、心理学や経済学で、幸福についての研究が盛んになりましたが、お金や子どもをもつことが夫婦の幸福な人生の絶対条件ではないことが多くの研究で明らかになっていることです。