編集長コラム

細川 忠宏

代替医療について考える

2007年03月18日

不妊に悩むカップルの多くは代替医療を利用しているとの調査結果が、オーストラリアとニュージーランドの専門誌の最新号で報告されています。

不妊専門病院に通院している夫婦の3分の2は、何らかの代替医療を併せて利用していて、そして、代替医療を併用している方々の約7割は、主治医には、そのことを報告していないというのです。

おそらく、日本でも同じような状況にあるのではないでしょうか。

このことについて、必ず、主治医に報告、相談して、アドバイスを仰ぐべきであると結論づけています。

最近は、補完医療とか統合医療とも呼ばれたりしているようですが、代替医療とは、いわゆる西洋医学以外の治療法のことで、たとえば、鍼灸や漢方薬、指圧、整体、カイロプラクティック、リフレクソロジーやホメオパシーやアロマセラピーのような伝統的な療法、また、さまざまな民間療法や宗教的なヒーリングまで、基本的に薬や手術などに頼らないありとあらゆる治療法のことです。

代替医療やサプリメントの利用については、必ず、医師に相談して下さいということはよく言われることです。

確かに、代替医療の中には、怪しげなものもたくさあります。反対に、鍼灸のように、その有効性を示す臨床報告も出てきたり、ハーブについては、ドイツで、リフレクソロジーについてはイギリスで、その有効性を科学的な手法で検証し、健康保険医療に組み込まれていたり、アメリカでは、日本の厚生労働省にあたる機関が、補完代替医療センターを設立して、研究や啓蒙活動にあたっています。

また、日本でも代替医療に理解を示す医師が以前よりは増えてきてはいます。

ところが、とにかく医師に相談しなさいというアドバイスは、どうも違和感を抱かざるを得ません。

なんて言うか、単にその場限りで、責任逃れ的なアドバイスに聞こえてならないのです。

なぜなら、多くの相談に接していて感じるのは、本当は、先生に相談すべきだとは思うし、相談したいのは山々なんだけど、とっても言い出せない雰囲気を感じるという方がほとんどだからです。

それは、いつも忙しそうにしているということもあるかもしれませんが、おそらく、代替医療を否定、あるいは、無視されそうに感じてしまう、まだまだ、そんな先生がほとんどのようで、自分の提供する医療以外は認めないと言えば言いすぎかもしれませんが、とにかく、科学的なエビデンス(証拠)がないものは、信用できないということのようです。

決して、主治医を信頼していないわけではなく、単純に、あとあと後悔するのは嫌なので、良いとされているものであれば試してみたいという思いです。

要するに、西洋医学であろうが、代替医療であろうが、エビデンスがあろうがなかろうが、自分に結果が出さえしてくれればいいわけで、或いは、たとえ、結果が伴わなくても、この、"現在進行形の不安"を少しでも緩和させてくれるものであれば、それはそれで、その人には取り組んでみる価値はあると思うのです。

ヨーロッパ生殖医学会(ESHRE)の子宮内膜症の診断治療ガイドラインでは、ガイドライン作成グループは以下のような見解を示しています。
http://guidelines.endometriosis.org/coping.html

「ホメオパシーやリフレクソロジー、漢方薬やハーブによって、子宮内膜症の痛みが緩和されたいう女性は多数います。確かに、それらの療法が子宮内膜症の治療に有効であるとする、そんな無作為対照試験によるエビデンスは存在しませんが、もしも、それらの療法によって痛みが緩和され、日常の生活や仕事に従事するうえで、自分に有益であると感じるならば、決して、否定されるべきではありません。」

私たちは、不妊や不妊による悩みを克服するためには、医学における洋の東西や方法の新旧、スタイル、思想にとらわれることなく、その夫婦の体の状態や価値観に照らして、何が必要で、何が不要なのかという観点のみで、全くのフリーハンドで方法を取捨選択すべきだと考えています。

先に紹介したESHREのガイドライン作成グループのような、患者の立場に立った見解をもたれる不妊治療医もたくさんおられますし、反対に、西洋医学を親の仇のごとく、否定される代替医療に従事する先生も少なくありません。

また、広告や宣伝は、売り込みが目的ですから、ほんの一面を誇大に表現されてしまいがちなものです。

大切なことは、自分で情報を収集して、勉強すること、そして、自分の責任のもとに、方法や専門家を取捨選択することです。

そんな"見る眼"を養うことこそが、怪しげな療法や広告の誇大さや嘘を見抜いたり、自分たちにあった専門家と出会うためだけでなく、混沌とした世の中をサバイバルするために最も大切なことだと思います。

それと、ですね。

何が相応しいのかを探し、選択する"外を見る眼"だけでなく、自分たちは、何が問題なのか、そして、自分たちはどうしたいのかを知る、そんな"内を見る眼"を養うことが、実は、一番大切なことかもしれませんと、最近、思ってもいます。